7白里を曲がって流れ込み海と接する洛東江河口、金海平野とその西側の菉山洞、天加洞の一部山地と島嶼地域に形成された179.27㎢の広い区域を管轄する江西区は、由緒ある伽揶文明のメッカであり、加德島自生冬栢群落地、東洋最大の渡り鳥到来地など秀麗な自然景観を誇る。
肥えて広い平野地域には、大渚・江東・駕洛花卉団地、江東ごまの葉、鳴旨ネギ、大渚トマト、凡方セリ、駕洛黄金米など優秀特産物が生産されて、淡水と海水が交差する洛東江の河口地域では、カキ、ノリ、青海藻の養殖、加德島ボラなど多様な水産物が生産されている。
釜山の関門である金海国際空港が位置して南海高速道路が貫通するなど交通の要地として、現在推進している科学団地、産業団地、釜山新港などが完工されれば、21世紀釜山発展の中枢的な役割を果たす最尖端の海洋都市として生まれ変わります。
大渚
大渚島は元々慶尚南道梁山郡大上面、大下面地域で、西洛東江の上り口に大きい砂浜に形成されていたことから大渚地名が来由されたと思われる。
大成面は大猪島の上側に位置して、チュルド里、サドク里、デジ里、ピョンガン里を管轄して、大渚島の下側に位置している大沙面は、ソドック里、ドクド里、ドド里、メクド里、ウルマン里を管轄した。
江東
江東洞は本来慶南金海郡徳島面でデサ里、サンドク里、ブクジョン里、ゼド里など4里を管轄したが、1914年に金海郡駕洛面に併合された後、1978年釜山直轄市北区に編入され、昔の駕洛面から見る時に西洛東の江東の方にあると言って江東洞と名付けた。
鳴旨
鳴旨島という地名の来由は大雨や大きい日照り、大きい風など天災地変がある度に島のどこかで先に災難を予告する太鼓の音、鐘の音のような音が島全体に鳴らしたということから鳴旨と呼ばれたと言う。また、鳴旨の昔の名前は明湖とも呼んだが、今も年寄りの方は明湖という昔の地名をそのまま使っている。
駕洛
駕洛洞の地名由来は文献上では詳しく載っていないが、金海地理志によれば駕洛とは洛東水にかけているという意味として大きい岸辺にある地域であることを意味する。500年ほどの前まで無人島だった駕洛に竹島を拠点に民家が移住し定着した後、金海に属していたが、旧韓末1895年(高宗32年)官制改革の時に行政庁である金海郡駕洛面になって初めて駕洛という名称が使われ始まった。
菉山
菉山という地名においては二つの主張があるが、菉山を最初は鹿山であったが菉山に変えたという主張が一つだ。すなわち、風水地理説によれば、烽火山の東側は飢えた鹿が野原を走るということから鹿山と呼ばれたが、菉山という地名は緑豆のように小さな島である菉島から由来したと見るのが妥当だ。それは菉山という地名に先立って菉島が与地図書の金海府地図上に表示されていて、朝鮮王朝実録順調11年の塩田関係の記事でも菉島という地名が使われているからだ。
言い換えれば、与地図書の段階までは小さい島だった菉島が、引き続かれる洛東江河口のデルタの発達により徐々に陸地に変わりつつあって、19世紀初以後は島として記録されたが、鳴旨島と合わせ塩田がよほど盛んであったことから、既に陸地と繋がれた可能性が高い。
天加
天加洞の地名由来は、朝鮮中宗37年に加德島に天城萬戶鎭と加徳鎭を設置して倭寇の侵入を阻んで、1906年には熊川郡天城面、加徳面を設置した。その後、1908年に2面を合わせ2面の頭文字を取って天加面と名付けた。