加德島は寶蓋山が海の下へ沈沒された後、再び聳えて島になったという伝説がある釜山最大の島だ。
最高峰である烟台山(459.4m)をはじめとして多い山が広がっていて、海岸線に沿って東北方へ訥次・東仙の間を受け継ぐ周辺の白砂浜から、祈祷院前の海辺の景観、東南方へ大項セバジの広い砂礫地と竜頭岩を始まりに広がる椿の森と外洞島一帯と東頭末、加德島灯台周囲の奇岩奇石、西南方へ回ってウェヤン浦海水浴場、頭門の長く伸びた松島、チォンスマルのコバウィなど加德島は海金剛の絶景ほど優れる。

歴史の島、加德島
加德島は歴史の島だ。
先史時代から人が住み始めて、国土の最南端に位置して日本の侵略が多かった所で、朝鮮時代には軍基地とあちこちに城を逐造して兵器を作った倉庫があったと言う。日帝時代に倭軍がウェヤン浦に作った軍基地と人工洞窟など痛い歴史の現場を残している。国土守護と愛国の心が自然にできる。
海が見える登山路、烽燧台、ずば抜けた海岸線、伝統漁撈方式であるボラ入りが見られるし、柚とタラが有名な所だ。あちこちに散在した文化遺跡などは必須旅行コースとして価値がある所だ。


- 菉山船着場 - ソンチャン - 城北 - 素養院 - 烟台峰 - 天城
- 釜山新港 - 天城 - 烟台峰 - 素養院 - 城北 - ソンチャン
- 釜山新港 - 大項 - 烟台峰 - 素養院 - 城北 - ソンチャン
大院君斥和碑
- 所在地 :江西区城北洞344(天加小学校内)
- 指定年月日:1993年2月1日
1866年旧韓末興宣大院君によって丙寅年に造り始め辛未年(1871年)に建てられた物で、元々加德浦口(今のソンチャン)にあった物をここへ移しておいた。
碑の大きさは1.28m×1.45m×0.16mであるが、碑文には『洋夷侵犯非戦則和主和売国我戒万年子孫』という文章が書かれている。
“西洋・倭寇が侵犯するのに争わないことは、すぐ和親をしたいという意味であり、和親をしたいということは国を売ることだということを私の子孫万代へ覚ましてくれ!”と全民に警告した包告領だ。このような斥和碑は我が国辺境地域のあっちこっちに立てられていた。
国軍23勇士忠魂碑
- 所在地 :江西区天城洞と城北洞間
- 建立年代:1992年燎忠日
天加洞に所在している国軍墓地には、韓国動乱当時に加德島の若者として祖国のために散花した23人の魂が安らかに眠っている所だ。こちらに彼ら23勇士の魂を称えるため‘23勇士忠魂記念碑’が立てられて勇ましい国軍の気象を象徴する塔身と護国英霊たちの祖国愛を称える追慕詩が刻まれている。思わず通り過ぎていたこちらへ、しばらく足を止めて若い日に祖国のために散花した加德島の誇らしい息子の魂、兄弟の魂のために黙念をあげながら感謝する心を現わすために立てた記念碑だ。
天城鎭城
- 所在地 :江西区天城洞1613番地一帯
- 指定年月日:1989年3月10日
日本から釜山鎭海へ入って来る海岸道路の要衝において昔から倭寇が侵入する要所だった。
1544年(中宗39年)蛇梁鎭に倭変が起きると、ここでの防御の必要性が大きく感じられ、海方へ石を積んで兵船を保護する施設とともに、鎭堡を逐造して水軍を駐屯させた。加徳鎭所属で萬戶を置いて、壬辰の乱当時に我が水軍が安骨浦に停泊している倭軍艦隊を攻略する時、背後陣営の方へ重要な役割を果たした。一時は倭軍によって陷落されたが後で復旧された。
城壁の周りは長さ約960m、広さ4,5m、高さ約3mで、朝鮮中期の築城様式で作られた。1988年12月23日慶尚南道記念物で指定されたが、1989年1月1日釜山市江西区に編入されるに伴って同年3月10日釜山市指定記念物第34号として再指定された。
烽燧台
- 所在地 :江西区天城洞山6-1
- 加德島で一番高い海抜459mの烟台峰の頂上に烽燧台がある。
この烽燧台の設置年代は明らかになっていないが、高麗毅宗時代を前後にして作られたと推定される。
1891年光武元年に全国烽燧台の役目が廃止される時に形体がほとんど消えたが、1996年4月26日に江西区で再び修復された。
位置から見て、日本の対馬島と一番近い海岸辺の烽燧台で東莱直烽所属の間烽として西の方へは熊川の沙火郞烽燧台に連結して、鎭海、昌原、昌寧、星州、漆谷、金泉、常州、聞慶を経て忠州で東莱直烽線と会う役目をして、北の方へは菉山洞の聖火予算烽燧台に連結して、金海盆山城、鎭営、水山、密陽、青島、慶山、大邱を経て霊泉の城隍堂烽燧台に到って東莱直烽線に連結してくれる役目をして、東の方へは多大浦の鷹峰烽燧台と交信する国土の最尖端に位置して重要な役目を担当した。
椿群落地
- 所在地 :江西区大項洞13-2番地一帯
- 指定年月日:1993年2月1日指定
加德島南端東海岸絶壁の上にある24万㎡に自生椿木が数万本あるが、その中でも樹齢が150年以上で推定される木も2,500本ほどが自生して海岸の奇岩怪石と調和な絶景を成している。
冬の北風寒雪の中でも孤高な姿態を威張る椿が赤い花つぼみを咲き始めるのは1月中旬から4月中旬までだが、その美しさを誇りながら絶頂を成す椿は双子葉植物の常緑喬木で背が約2mまで伸びて、花は赤色で枝先に1個ずつ咲いて秋に実を実る。
我が国の南部地方には多い椿が伸びているが、その中でも特に江西区天加洞の児童島と呼ばれる一帯は、野生椿が自生する所として全国で一番規模の大きいことで有名だ。
加德島の野生椿の葉は特につやが多く出て、小さな花の姿はしっかりして色が鮮かなのが特徴だ
ウェヤング浦の砲陣地
ウェヤング浦村全体が日本軍の司令部であった所だ。
1905年5月27日、露日戦争の直前である5月7日こちらに日本軍の軍司令部を設置しながら、ここに住んでいた我々のご先祖を強制に放逐して朝鮮半島に初めて基地を設置した所だ。
今も、砲台、軍テント、資材倉庫、対空観測所、対空サーチライト、発電機などの跡が残っている。
海岸線には連合軍を沮止するために振り撤いた火薬が今も発見されていて、基地設置年代を証明する物として軍司令部発想地の牌が残っている。
加德島灯台
- 所在地:大項洞13-2番地
- 指定年月日:1989年3月10日
江西区大項洞13-2番地に位置している加德島の灯台は、1909年12月大韓帝国時期に建築された灯台として、建坪105.6㎡、灯塔(8角形)高さ9.2mの当時としては雄大壮厳な概観を持っていた。建築様式をよく見れば、灯塔はゴシック型でフランス灯塔形式と似ていて、出入口には進入階段の幅に合わせ木材を利用した突出型傾斜玄関を設置して、上部現板には朝鮮皇室の象徴であるスモモの花文様が刻まれているなど、韓国、日本、ヨーロッパの建築様式が混合した構造になっている。
近代西欧建築の様式・建材・意匠手法などが初めて使われた建物の一つで、当時に建立された多くの灯台がほとんど原型が大きく毀損されたのに比べ、加德島の灯台はほぼ原型を維持しているという点で、歴史的、建築史的に文化財としての価値が引き立つ。

菉山船着場まで
- 下端地下鉄駅から市内バス利用-菉山船着場(中小企業庁前)
船着場から加德島まで
- 船便利用(定期導線)
- 先着港:ソンチャン、長項、頭門、天城、大項、ウェヤング浦(目的地と一番近い船便を利用)
- 菉山渡船船着場 051)831-9664 ジンヨン海雲寺
- 加德島内では天加洞一周バス利用